朝は、たいてい急いでいる。
起きる。
顔を洗う。
メールを確認する。
予定を思い出す。
まだ体は目覚めきっていないのに、
頭だけが先に走り出す。
以前は、キッチンの片隅に置いた全自動コーヒーマシンに
すべてを任せていた。
ボタンを押せば、
数十秒後には完璧な一杯が出来上がる。
香りも味も安定している。
失敗もない。
合理的で、正しい。
けれどある日、
なんとなく、ハンドドリップに戻してみた。
特別な理由はない。
ただ、
少しだけ朝の時間を遅くしてみたくなった。
豆を計る
スプーン一杯が、こんなにも軽いことに気づく。
毎朝飲んでいるのに、
重さを意識したことはなかった。
ミルを回す。
ゴリ、ゴリ、ゴリ。
規則的な音が、まだ静かな部屋に響く。
その音を聞きながら、
今日やるべきことを、ぼんやり思い出す。
でも不思議と、焦りは生まれない。
お湯を沸かす間、
何もしない時間がある。
スマホを手に取りそうになる。
通知を確認したくなる。
でも、今日は触らないと決める。
ただ、湯気を見る。
湯気は、形を持たない。
まっすぐ上がったかと思えば、すぐに揺れる。
その曖昧さが、少し心地いい。
最初の一滴が落ちるまで、少し蒸らす
この「待つ」という行為が、
思った以上に贅沢だ。
急げば急ぐほど、
味は浅くなる。
ゆっくり注げば、
深くなる。
それは、コーヒーだけの話だろうか。
仕事も、人間関係も、
たぶん似ている。
早く結論を出せば、
表面だけが整う。
少し時間をかければ、
見えてくるものがある。
カップを両手で包む
まだ少し熱い。
その温度が、
手のひらからじわりと伝わる。
ようやく、体が起きてくる。
最初の一口。
味の違いなんて、正直わからない。
全自動でも、きっと十分おいしい。
でも、
この一杯には「自分の5分」が入っている。
誰にも急かされず、
誰にも評価されず、
ただ静かに過ごした5分。
それだけで、
少しだけ、自分の一日を取り戻した気がする。
便利さは、悪ではない。
今日もきっと、
日中はスピードを求められる。
判断も、返信も、決断も。
だからこそ、
朝の5分だけは、ゆっくりでいい。
世界が動き出す前に、
自分の速度を整える。
たった5分。
でもその5分が、
その日の“軸”になることがある。
また忙しくなれば、
全自動に戻るかもしれない。
でも今は、
この少し不便な時間が、ちょうどいい。
削ったのは効率。
残ったのは、静けさ。
それで十分なのかもしれない。